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ヒマラヤ聖者の太陽になる言葉 [感想文]


ヒマラヤ聖者の太陽になる言葉

ヒマラヤ聖者の太陽になる言葉

  • 作者: 相川圭子
  • 出版社/メーカー: 河出書房新社
  • 発売日: 2015/10/16
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)


最近、こんな本を読みました。
「ヒマラヤ聖者の太陽になる言葉」
作者 相川圭子
http://go.science.ne.jp/kawade_mb
世界に2人、女性としては世界初のシッダーマスターです。

生きれば生きるほど人は悩めることが多くなります。

人生とはカルマを積み重ねることで、
成功と失敗の連続のミルフューユです。

それが自分の未来を規定していると思っていました。

ですから年をとればとるほど未来が限定されそれから
逃れられないと知らない間に思い込んでいたのです。

過去の経験から暗い未来を自分で規定して、
そうなりたくない自分との間で葛藤が生じ苦悩する訳です。

この本を読んでその葛藤が過去や未来に執着することで
生じさせている自分に気が付きました。

「今」の重要性、天国も幸福もいまここにあること
に気付かされました。

一瞬一瞬を大切にし苦行を通してサマディを得る、
言葉としては良く分かります。

ヨガをすればそれを得ることはできるのでしょうね。

ひょっとして毎日の生活も苦行の連続ですからそれを
通してサマディをえることはできないでしょうか。

常に100%でやり切ればサマディを得ることができる
のではないかと思うようになっています。

ヨガも習得してその感性を磨くことで自分の
人生の中でサマディを得たいと思います。

 改めて人生を振り返ることもでき、この本に感謝しています。
 ありがとうございました。

人生を変えてくれた先生 [思いで]

いろいろな先生がいますが、この先生は素晴らしいと思います。    あれは中学生の時の話だ。 中学生の時の俺は背が小さく、力もなくて格好のいじめの的だった。 殴られ、ものを隠され、むちゃくちゃな命令をされたり、服を脱がされたりもした。 友達も 見ているだけでだれも助けてくれない。 家に帰っても、両親は「いじめられるのはお前が悪い!うじうじするな!みっと もない!」とか言われ、その時の俺にはどこにも居場所なんて無かったんだ。い つまでこの苦しみは続くんだろう…何回も自殺を考えた。友達も両親も誰も信じ られなくなって虚勢を張ることしかできなかった。誰に相談しても何も変わらな いって思ってた。 そんなときだった。 四月、新しい先生が俺のクラスの副担任になった。その先生はトイレで俺がいじ められている現場に遭遇すると「何やってんだ!!」っていじめっ子を怒鳴りつ けて俺を助けてくれた。助けてもらったことで、今まで張りつめていた気持ちが 一気にほどけてずっと泣きじゃくってしまった。すると先生は「どうした?俺が 怖くて泣いたのか?(笑)」って冗談を言って笑わせてくれた。泣きながら笑った ら、「泣くか笑うかどっちかにしろよ(笑)」って言われて俺は笑った。この先生 は俺をどん底から救い上げてくれた。 この先生が来てから、いじめは減り俺もクラスになじめるようになった。 しかし十月、突然その先生が他界した。朝のHRでクラス担任からその話を聞いた ときは信じられなかった。クラス担任の言ってることが理解できず、え?夢でも 見てるのかなって思ってたくらいだ。 そしてお葬式の日。やっとこの日になって実感した。もう先生はいないのだと…  葬式中ずっと泣いていた。なんで死んでしまったんだ!俺はまだ先生に何の恩 返しもできてないのに!卒業式のお前ら見てみたいなって言ってじゃないか!! その日から俺は決心した。 俺みたいないじめられている生徒を助けてあげられるような先生になるって。 今は大学に入って先生になるための勉強をしている。 先生!上から見ててくれ 絶対あんたみたいなカッコいい先生になるから!     泣けますね・・・。

香港ってこういうところ [旅行]

先日、香港旅行にいってきたんですが、
いろいろな発見がありました。

その中でも印象的だったのが、土地の狭さ。
 
もともと狭いところに作った国ではあるのですが、
それに輪をかけて狭くなっています。
 
地震がないので、ビルが細長くにょきにょき生えてきており、
50階建てのビルなどがそこら中に溢れてます。

その上、海辺の土地なので、平地が殆ど無く
山道ばかり。

坂もものすごくありました。
 
でも、その割には森の自然が残っています。 
 
その理由は、もともとイギリスが占領していたということもあり、
森林を保護するという法律があるそうです。 
 
個人的には、森林を伐採し土地を広げなければならないのでは?
と思います。
 
自然を大事に!!というのは大事ですが、
 
森を残した結果、一般庶民の生活にかなりの圧力がかかっています。 
 
家賃が日本では考えられないほど高額なのです。 
 
月1万香港ドルは当たり前。
中には2万香港ドルや3万香港ドルの家賃が。
 
つまり、日本で言うと45万円ぐらいの家賃がザラにあるのです。 
 
でも、一般人の収入は20万円ほど。 
 
これはちょっと厳しいのかなぁなんて思いました。






実車と気分転換 [乗務員営業]

お客さんを乗せて走ることを「実車」といいます。
一人で走っていれば、お客さんからは他のドライバーと同じベテランに見える訳ですが、最初の頃はお客さんに乗っていただくと、頭が真っ白になり、ナビを見ながらでもどこを走っているか全く分からくなっていたのです。。
道を間違え、お釣りを間違え、冷や汗たらたらで、毎日、毎日、悩みながら走ってました。
自分にはドライバーとしての適性がないのではないかと思ってしまうのです。
そんな中、ふとしたことで目に飛び込む、特徴的なグルメ店などは気を紛らわせてくれます。
行列があれば気分転換に何の店か見てみるのが楽しいのです。
特に行列のできるラーメン店は目立ちます。
エスニックな妖しい感じの夜のレストランも良いですね。
味まで調べることは簡単ではないですが、少しづつそれをこのブログで紹介できたら楽しいと思ってます。







入社してから [乗務員営業]

簡単な入社試験と健康診断を受け、まずは、2種免許試験に挑戦です。ペーパー試験には自信があり1発合格でしたが、実技で躓きました。
一般的には1回から3回で合格するのですが、恥ずかしながら私は6回目でやっと合格をしました。
入社して1か月位で2種免許を取得のはずが3ヶ月も掛かってしまいました。
同じように何度も試験に落ちる同期のモノもいてお互いに傷を舐めあいしたものです。
ようやく二種免許に合格した後も東京都にあるタクシーセンターの地理試験があるのですが、難しいと言われる中、こちらは何とか1回で合格しました。
合格して乗務員証が発行されるのですが、これで終わりではありません。実際の実技講習が大変なんです。
実際の業務は一人で全く他のドライバーと同等に一人で車を走らせます。
一人ですから誰からも監視しされなく、気楽にできると思っていたのですが、とんでもない間違いでした。






タクシードライバーの始まり [乗務員営業]

私は数年前に事業に失敗して全財産を失い、50代後半では新たな職業も見つからず、家族を養うために色々なアルバイトを繰り返すしか方法があませんでした。
そんな中、それまで全く関心がなかったタクシードライバーの求人広告に触れ、何気なく応募しました。
この会社では会社のドライバーに必要な2種免許を取得させてくれ、1年間の給与保証もあり私の年代でも正社員になれるところが大変な魅力でした。
50代も最後になり職業の選択も限りなく難しい状態となっている自分には選択の余地がありません。
早々に応募をしました。
東京の地図も分からなければ、車の運転にも自信がなかったのですが、目的意識と健康体であれば採用になります。転職に困っている40代、50代にはお勧めです。
「雲助」と言う悪いイメージもあったのですが、何はあれ挑戦だと思い、入社することにしたのです。








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